心肺蘇生法とAED
職場で人が倒れたら ― 心肺蘇生とAED、救急車を待つ約10分を誰が動かすか【産業医が解説】
結論から申し上げます。
心肺蘇生は、その場に居合わせた人が一秒でも早く開始し、救急隊に引き継ぐまで絶え間なく継続する以外の結論はありません。それを怠ると、生存率も社会復帰率も著しく低くなります。
本記事では、職場でよく聞かれる意見も踏まえ、実践的な内容を記述します。
この記事の要点
- 救急隊に引き継ぐまで、胸骨圧迫を止めないことが前提です。電気ショックが1分遅れるごとに生存退院の確率は約6%下がります(AHA 2025)。AEDのパッドを貼るあいだも、電気ショックの直後も、胸骨圧迫はただちに再開します。止めるのは、AEDが心電図を解析しているときと電気ショックの瞬間だけです。
- 善意で救命処置を行った市民が、民事上・刑事上の責任を負わされることはないと考えられています。根拠は民法第698条(緊急事務管理)と刑法第37条(緊急避難)です。市民によるAEDの使用は医師法違反にもあたらないとされています。
- 迷ったら始める、が国内外の指針の共通の立場です。しゃくりあげるような呼吸は「普段どおりの呼吸」ではありません。心停止でない人に胸骨圧迫をしても、重大な障害が生じたという報告はありません。
- 「誰かがやるだろう」を防ぐのは、名指しの依頼と、仕切る人の存在です。119番、AED、胸骨圧迫、誘導、時刻の記録(タイムキーパー)の役割を、平時に決めておくことをおすすめします。
- AEDは「置いてある」だけでは使えません。設置場所の周知、日常点検と消耗品の管理、利用できる時間帯の確認が必要です。
目次
はじめに ― 蘇生のガイドラインが改訂されました
心肺蘇生の国内標準である「JRC蘇生ガイドライン2025」は、2025年10月に国際的な科学的合意(ILCOR CoSTR2025)にあわせてオンライン版が公開され、2026年7月に確定版が書籍として出版されました[2][3]。これに準拠した市民向けの標準テキスト「改訂7版 救急蘇生法の指針2025 市民用」も公開されています[2]。米国心臓協会(AHA)と欧州蘇生協議会(ERC)も、同じ2025年10月にそれぞれのガイドラインを改訂しました[4][6]。
手技の細部はいくつか更新されていますが、「迷ったら始める」「AEDはできるだけ早く」という骨格は変わっていません。本記事では、手技の解説よりも、職場で実際に手が止まる場面と、それを減らすために会社が平時にできることを中心に扱います。
背景として、救急需要の規模を確認しておきます。令和6年中の救急自動車の出動件数は771万8,380件で、約4.1秒に1回の割合で出動しています。現場到着までの所要時間は全国平均で約9.8分です[1]。同じ年に救急搬送された心肺機能停止の傷病者は14万88人で、そのうち2,524人は「仕事場」で発生しています(事務所579人、工場392人、屋内作業所382人など)[1]。
1. 心停止は、分単位の勝負
1-1. 1分ごとに、どれだけ下がるか
突然の心停止の多くは、心臓が細かく震えて血液を送り出せなくなる心室細動によって起こります。これを止める唯一の手段が、AEDなどによる電気ショック(除細動)です。
AHAの2025年ガイドラインは、オランダの院外心停止レジストリの解析を引いて、次のように記載しています[4][5]。
- 初回の電気ショックが6分以内なら、心室細動を止められた割合は93%
- 初回の電気ショックが16分を超えると、75%に低下
- 初回の電気ショックが1分遅れるごとに、生存退院の確率が6%低下
ERCの2025年ガイドラインも、電気ショックの適応がある心停止では、除細動が1分遅れるごとに心室細動を止められない確率が6%上がり、生存退院の確率が3〜6%下がるとしています[6]。
救急車の到着が約10分であることと並べると、救急隊の到着を待ってから電気ショックを行うのでは、すでに多くの時間を失っていることがわかります。
1-2. 国内のデータでは、どのくらい違うか
消防庁の統計から、令和6年中に一般市民が目撃した、心臓が原因の心停止(2万7,769人)について、1か月後の転帰を比べます[1]。
| 居合わせた市民の対応 | 1か月後生存率 | 1か月後社会復帰率 |
|---|---|---|
| 市民がAEDで電気ショックを実施(1,449人) | 53.6% | 44.4% |
| 市民による電気ショックなし(適応でなかった例を含む)(2万6,320人) | 10.1% | 5.7% |
| 市民が心肺蘇生を実施(1万6,728人) | 15.3% | 10.4% |
| 市民による心肺蘇生なし(1万1,041人) | 7.9% | 3.7% |
救急蘇生法の指針2025は、これに加えて、救急隊が到着してから電気ショックを実施した場合の社会復帰率は17.7%であり、市民が救急隊の到着前に電気ショックを行った場合の44.4%を大きく下回ると記載しています[1][2]。
数字の読み方について。これらは観察データであり、比べている集団の条件は同じではありません。たとえば、電気ショックの適応がある心室細動は、そもそも比較的予後のよい状態です。「AEDを使えば必ず助かる」という意味ではありません。ただし、時間が経つほど救命の可能性が下がるという関係は、国内外の研究で一貫して示されています[2][4][11]。
1-3. それでも、使われているのは5%あまり
市民が倒れるところを目撃した心停止約2万8,000人のうち、市民が電気ショックを行ったのは約1,450件、5%あまりにすぎません[2]。一方、医療機関・消防機関以外に設置されているAEDは、耐用年数から推計して約71万台あります[12]。
AEDは数としては相当程度普及しています。足りないのは機器ではなく、倒れた人のところまでAEDを運び、パッドを貼るまでの動きのほうです。次章以降で、その動きを止める要因を順に見ていきます。
1-4. AEDを使っても、胸骨圧迫は止めない
産業医として企業に伺っていると、「AEDを使ったから、もう大丈夫」という受け止め方にしばしば出会います。電気ショックを行ったところで一息ついてしまう、あるいはAEDが「ショックは不要です」と告げたことを、回復したという意味に受け取ってしまう、というものです。
原則は逆です。胸骨圧迫を止めるのは、AEDが心電図を解析しているときと、電気ショックを行う瞬間だけです。それ以外の時間は、救急隊に引き継ぐまで続けます。
- AEDが届いてからパッドを貼るまで:その間もできるだけ胸骨圧迫を中断しない[2]。救助者が複数いれば、パッドを貼っているあいだも胸骨圧迫を続ける[6]
- 電気ショックの後:音声メッセージに従って、ただちに心肺蘇生を再開する[2][6]
- 「ショックは不要です」と言われたとき:心肺蘇生が不要だという意味ではない。電源は切らずに、ただちに胸骨圧迫を再開する[2]
- その後:AEDは2分おきに自動で心電図の解析を始める。そのつど音声に従って離れ、終われば再開する[2]
- 救急隊が到着するまで:効果がなさそうに思えても続ける。普段どおりの呼吸が戻った場合も、パッドは剥がさず、電源も入れたままにしておく[2]
理由は、電気ショックの働きにあります。電気ショックは心室細動という異常な震えを止めるものですが、それだけで心臓が血液を送り出せる拍動に戻るとは限りません[4]。心臓が拍動を取り戻すまでのあいだ、脳と心臓に血液を送り続けているのは胸骨圧迫です。AHAは、質の高い心肺蘇生を「心停止の傷病者にとって最も重要な単一の介入」と位置づけ、電気ショックの前後で胸骨圧迫の中断を最小限にすることが、除細動の成功と転帰の改善に関連するとしています。電気ショックの後にただちに胸骨圧迫を再開しなかった場合に心拍再開が少なかったという観察研究も引用されています[4]。
役割の決め方への示唆
AEDを操作する人と、胸骨圧迫をする人は、別の人にしておくのが原則です。AEDの準備のために胸骨圧迫が止まる、という事態を防げます。また、AEDが2分おきに解析を始めるタイミングは、胸骨圧迫を交代する合図にもなります。AHAも、2分ごとの交代は、心電図解析でもともと胸骨圧迫が止まる時間を活かせる点で合理的だとしています[4]。第3章の役割分担は、この前提で組み立てています。
2. 「素人が使って、責任を問われないか」
救命講習や社内研修の場で、最も多く出る質問のひとつです。救急蘇生法の指針2025も、うまくいかなかった場合に罪に問われることを恐れて救命処置をためらう人がいることを、正面から取り上げています[2]。
2-1. 民事上の責任 ― 民法第698条(緊急事務管理)
管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。(民法第698条)
救急蘇生法の指針2025は、この規定の解釈により、「悪意または重大な過失がない限り、善意の救助者が傷病者などから損害賠償責任を問われることはないと考えられています」としています[2]。
2-2. 刑事上の責任 ― 刑法第37条(緊急避難)
刑法第37条は、自己または他人の生命・身体等に対する現在の危難を避けるためにやむを得ずにした行為について、生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しないと定めています。指針はこれらを踏まえ、「善意に基づいて救命処置を実施した場合には、民事上、刑事上の責任を負わされることはないと考えられています」と整理しています[2]。
2-3. 医師法との関係
医師法第17条は「医師でなければ、医業をなしてはならない」と定めています。しかし、救命の現場にたまたま居合わせた市民が救命処置を行うことは、医業にはあたりません。厚生労働省は、市民によるAEDの使用は反復継続する意図がないものと認められるため、医師法違反にはならないとの見解を示しています[2][15]。一般市民によるAEDの使用は、2004年(平成16年)7月から認められています[12][15]。
2-4. 「心停止でなかったら、かえって害になるのでは」
法的責任と並んで多い懸念です。救急蘇生法の指針2025は、心停止でない傷病者に胸骨圧迫を行ったことで重大な障害が生じたという報告はないとしています[2]。AHAとERCも、心停止でない人に胸骨圧迫を行った場合の害のリスクは低く、心停止の人に心肺蘇生を行う利益がそれをはるかに上回るという立場です[4][6]。
AEDについても同様です。AEDは心電図を自動で解析し、電気ショックが必要な場合にしか電気が流れないしくみになっています[2]。
2-5. 会社にとっての意味 ― 「伝えておくこと」自体に効果がある
ERCの2025年ガイドライン(倫理の章)は、救助者を保護する法律があっても、それが知られていなければためらいは残るとしたうえで、法的な保護が明確に伝えられているほど、居合わせた人は救命処置を行いやすくなると述べ、救助者の法的・倫理的な保護を明確にすることを推奨しています[7]。
本章の内容は、社内研修や掲示でそのまま伝えられる情報です。周知するだけで、いざというときの「迷い」をひとつ減らせます。
留保しておくこと
上記はいずれも「責任を負わないと考えられている」という整理であり、個別の事案で常に結論が保証されるという意味ではありません。指針自体もこの表現を用いています。
また、会社が従業員を救護担当として指名し、業務として対応させる場合の法的な位置づけ(緊急事務管理の規定がどこまで及ぶか、会社側の責任をどう考えるか)は、本記事の範囲を超えます。第3章の体制づくりを規程化する際には、顧問弁護士等にご確認ください。
3. 現場で手が止まる理由と、「仕切る人」をつくる仕組み
法的な不安を取り除いても、手が止まる場面は残ります。ここでは、ガイドラインが具体的に取り上げている3つの場面と、それに対して職場で準備できることを扱います。
3-1. 「息をしているように見える」― 死戦期呼吸
心停止の直後には、しゃくりあげるような、途切れ途切れの呼吸がみられることがあります。死戦期呼吸と呼ばれ、院外心停止の40〜60%でみられると報告されています[4]。AHAは、これが一般の人が「心停止ではない」と誤って判断する代表的な理由であり、胸骨圧迫の開始が遅れる原因になると指摘しています[4]。
救急蘇生法の指針2025の立場は明確です。
- しゃくりあげるような途切れ途切れの呼吸は、「普段どおりの呼吸」ではない。ただちに胸骨圧迫を始める[2]
- 反応があるかないかの判断に迷う場合、またはわからない場合も、心停止の可能性を考えて119番通報とAEDの手配に進む[2]
- 普段どおりの呼吸かどうか判断に迷うときも、ただちに胸骨圧迫から心肺蘇生を始める[2]
社内研修では、「迷ったら始めてよい」ではなく「迷ったら始める」と伝えるのがよいかと思われます。第2章の内容とあわせて伝えることで、判断の負担が軽くなります。
3-2. 倒れたのが女性だったとき
AEDのパッドは素肌に直接貼る必要があります。AHAは、日本の全国データを含む研究を引用し、女性は男性に比べて、市民によるAEDの使用率が有意に低いことを指摘しています[4][10]。胸をはだけることへの抵抗感や、不適切に触れたと受け取られることへの懸念が、その一因と考えられています[4]。
この点について、国内外の指針は次のように整理しています。
- ブラジャーは必ずしも外す必要はない。邪魔になる場合はずらして、パッドを素肌の正しい位置に貼る[2][4][6]
- 衣服は首元まで引き上げるか、ボタンやファスナーを外す。難しければ切ることもためらわない[2]
- ERCは、パッドを正しい位置に、素肌に接して貼ることを優先するとしています[6]
職場では、周囲の人に体の向きや上着で視線を遮ってもらう役割を、あらかじめ想定しておくと動きやすくなります。これは次節の「役割」のひとつとして組み込めます。
3-3. 人工呼吸はどうするか
口をつけて息を吹き込むことへの抵抗感も、手が止まる理由のひとつです。救急蘇生法の指針2025の整理は次のとおりです。
- 人工呼吸に自信がない、またはためらいがある場合は、胸骨圧迫だけを続ける[2]。トレーニングを受ける機会がなかった人や人工呼吸に自信がない人でも、胸骨圧迫だけは必ず行うこととされています[2]
- 講習を受けて技術を身につけており、行う意思がある場合は、胸骨圧迫30回と人工呼吸2回を1サイクルとして、救急隊と交代するまで繰り返す[2]
- 小児の心停止、窒息や溺水による心停止、救急隊の到着に時間がかかる場合などは、人工呼吸を組み合わせることが強く望まれる[2]
AHAとERCも、講習を受けていない、あるいは人工呼吸を行う意思がない場合には、胸骨圧迫のみの心肺蘇生を行うという立場です[4][6]。人工呼吸ができないことは、心肺蘇生を始めない理由にはなりません。
職場で準備するなら、AEDの収納ケースに人工呼吸用のシートやマスクを入れておくことが考えられます。口対口人工呼吸による感染の危険性は低いとされていますが、手元にあれば使用するよう指針も勧めています[2]。なお、保育・介護・プール・スポーツ施設など、子どもや溺水・窒息の傷病者に接する機会の多い職場では、人工呼吸を組み合わせた心肺蘇生の習得が望まれています[2]。
3-4. 「誰かがやるだろう」「分からないからできない」
オフィスで人が倒れると、周囲には複数の人がいることが多いはずです。ところが、人が多いことは、必ずしも誰かが動くことを意味しません。「誰かが通報しただろう」「詳しい人がやるだろう」と互いに様子を見ているあいだに、時間が過ぎていきます。
救急蘇生法の指針2025は、応援を呼ぶ際に「あなた、119番通報をお願いします」「あなた、AEDを持ってきてください」など、具体的に依頼するのがよいとしています[2]。
ここに、職場で準備できることの核心があります。「分からないからできない」人も、「あなたはAEDを取ってきてください」と言われれば動けます。必要なのは、全員が手技に習熟していることではなく、名指しで役割を割り振る人がその場にいることです。
3-5. 「仕切る人」を、平時に決めておく
産業医としておすすめしているのは、職場ごとに、その場を仕切る人を1人以上決めておくことです。不在の時間帯に備えて、代わりの人も決めます。仕切る人の仕事は、自分で胸骨圧迫をすることではありません。周囲の人を名指しで動かすことです。
割り振る役割は、次のとおりです。
| 役割 | 内容 |
|---|---|
| 仕切る人 | 大声で応援を呼び、以下の役割を名指しで割り振る。全体の進行を見る。 |
| 119番通報 | 通報し、通信指令員の指示を周囲に伝える。スピーカー機能を使えば両手が空きます[2]。 |
| AED | 最寄りのAEDを持ってくる。届いたら電源を入れ、音声に従う。 |
| 胸骨圧迫(交代要員を含む) | 強く、速く、絶え間なく。疲れると気づかないうちに浅く・遅くなるため、1〜2分を目安に交代します[2]。AHAは、胸骨圧迫の深さは開始から90〜120秒で落ち始めるとしています[4]。 |
| 誘導 | 建物の入口やエレベーターで救急隊を待ち、現場まで案内する。オフィスビルでは、この役割の有無で到着後の時間が変わります。 |
| 周囲の配慮 | 人だかりを整理し、必要に応じて視線を遮る(3-2)。 |
| タイムキーパー | 時刻を記録し、交代の合図を出す(次節)。 |
人数が少なければ兼務になります。それでも、役割の一覧が先にあれば、仕切る人は「次に誰に何を頼むか」で迷わずに済みます。
3-6. タイムキーパーを置く
市民向けの講習ではあまり強調されませんが、実務上はほぼ必須に近い役割と考えています。記録するのは次の時刻です。
- 倒れた(または発見した)時刻
- 119番通報をした時刻
- 胸骨圧迫を始めた時刻
- AEDのパッドを貼った時刻
- 電気ショックを行った時刻と回数
理由は2つあります。ひとつは、救急隊への引き継ぎに必要な情報だからです。第1章で見たとおり、救命の可能性は時間に強く依存します。もうひとつは、胸骨圧迫の交代の合図になるからです。当事者は時間の感覚を失いやすく、「1〜2分ごとに交代」は、誰かが時計を見ていなければ守れません。
スマートフォンのストップウォッチと、手元の紙で足ります。AEDの収納ケースに筆記用具と記録用紙を入れておくだけでも、準備としては十分です。
3-7. 仕組みと訓練
役割を決めても、一度も動いたことがなければ、当日は動けません。
- 講習を受ける。消防本部等が実施する普通救命講習(AEDの使用法を含む成人の心肺蘇生法)は、令和6年中に全国で約88万人が受講しています[1]。
- 社内で教えられる人を育てる。消防の「応急手当普及員講習」は、事業所の従業員に対して普通救命講習を指導する人を養成する講習と位置づけられています[1]。社内に普及員がいれば、異動や入社にあわせて講習を組みやすくなります。
- 役割を割り振った訓練を行う。手技の練習だけでなく、「仕切る人」が名指しで役割を振り、誘導役がエントランスまで行き、タイムキーパーが時刻を読み上げる、という流れを実際の職場で一度通してみることをおすすめします。消防訓練とあわせて行うと負担が小さく済みます。
- 衛生委員会で扱う。体制の見直しや訓練の振り返りは、衛生委員会の議題になじみます。
欧州では、ERCが職場の救命体制の強化を優先課題のひとつに挙げています[8]。欧州心臓病学会(ESC)のガイドラインも、心停止が起こりやすい場所へのAEDの配置と、地域での一次救命処置の講習の推進を、強く推奨する事項(クラスⅠ)としています[9]。
3-8. 救助したあとのこと
救急蘇生法の指針2025は、救命の現場に遭遇することは非日常の体験であり、うまくいった場合でもストレスを感じて不安になったり気分が落ち込んだりすることがあるとしています。症状が続く場合や強い場合には、身近な人や専門家に相談するよう勧めています[2]。ERCも、救助者への心理的な支援の体制を整えることを推奨しています[7]。
職場で対応した従業員には、後日、産業医や産業保健スタッフとの面談の機会を案内することをおすすめします。傷病者の転帰にかかわらず、です。体制を規程にする際には、この一文も入れておくとよいかと思われます。
4. AEDを「置いているだけ」にしない
4-1. 法令上の位置づけ
労働安全衛生規則第633条は、事業者に対し、負傷者の手当に必要な救急用具及び材料を備え、その備付け場所及び使用方法を労働者に周知させること、またそれらを常時清潔に保つことを求めています。ただし、同条はAEDを名指ししておらず、一般の事業場にAEDの設置そのものを直接義務づける法令の規定は、現時点では見当たりません。
一方で、設置したAEDについては、適切な管理が求められています。AEDは医薬品医療機器等法上の高度管理医療機器・特定保守管理医療機器に指定されており、厚生労働省は設置者に対し、点検担当者の配置、日常点検の実施、消耗品の管理などを求める通知を出しています[14]。
4-2. 確認しておくこと
AEDが設置されている場所で、実際に電気ショックに使われるのは年間でおよそ312台に1台と試算されています[12]。使われる機会がまれだからこそ、日常の管理が抜け落ちやすくなります。実際に、バッテリー切れなどでいざというときに使えなかった事例が、近年も報告されています[12]。
| 項目 | 確認すること |
|---|---|
| 日常点検 | インジケータが正常を示しているか。点検担当者と記録の方法を決めておく[14]。 |
| 消耗品の期限 | 電極パッドとバッテリーの使用期限。交換時期は機種によって異なるため、本体の表示や添付文書で確認する[14]。 |
| 設置場所の周知 | 全員が知っているか。救急蘇生法の指針2025も、自分の職場や通勤経路のどこにAEDがあるかを普段から把握しておくよう勧めています[2]。新入社員や異動者への周知が漏れやすくなります。 |
| 取り出しやすさ | 施錠された部屋や鍵付きの収納に入っていないか。ERCは、盗難等の発生は2%未満と少ない一方、施錠は取り出しを遅らせるとして、収納ケースを施錠しないことを推奨しています[6]。 |
| 利用できる時間帯 | ビル共用部や近隣施設のAEDに頼っている場合、早朝・夜間・休日に使えるか。残業や休日出勤の時間帯を想定して確認します。 |
| 機種 | ボタンを押して電気ショックを行う機種か、自動で電気ショックが行われる機種(オートショックAED)か。後者にはショックボタンがなく、似たマークや電源ボタンを誤って押さないよう注意が必要です[2]。 |
| 距離 | 倒れてから電気ショックまでの時間を短くするには、取りに行って戻るまでの時間が短いことが重要です。日本循環器学会と日本心臓財団の提言は、早足で往復しておおむね1分以内にAEDが届き、心停止から5分以内に電気ショックが可能となる配置を目安として示しています[16]。フロアが広い、階をまたぐといった場合は、台数と配置を見直す余地があります。 |
4-3. AEDマップへの登録
AEDの設置情報は、一般財団法人日本救急医療財団の「財団全国AEDマップ」に登録できます。厚生労働省は都道府県に対しこのマップを用いた情報提供と登録・更新を求めており、消防庁は通信指令や口頭指導での活用を求めています[13]。ERCも、公共のAEDは消防に登録し、119番通報時に最寄りのAEDを案内できるようにすべきとしています[6]。
なお、複数の団体が運営するAEDマップを一元化する全国データベースの整備が検討されています[13]。登録先については、AEDの販売業者や財団に最新の状況をご確認ください。
よく聞かれる疑問の整理
| よく聞かれる疑問 | 整理 |
|---|---|
| 講習を受けていない人が、AEDを使ってもよいのか | 使えます。AEDは音声で手順を案内します。ERCは、AEDの表示に「誰でも使える、講習は不要」と明記すべきとしています[6]。講習を受けておくことが望ましいのは、ためらわずに動けるようになるためです。 |
| 失敗したら、責任を問われるのではないか | 善意で救命処置を行った場合、悪意または重大な過失がない限り、民事上・刑事上の責任を負わされることはないと考えられています(民法第698条、刑法第37条)[2]。 |
| 呼吸をしているように見えるので、様子を見てよいか | しゃくりあげるような途切れ途切れの呼吸は、普段どおりの呼吸ではありません。判断に迷う場合も、ただちに胸骨圧迫を始めます[2]。 |
| 女性の場合、服を脱がせてよいのか | パッドは素肌に貼る必要があります。ブラジャーは必ずしも外す必要はなく、ずらして貼れば足ります[2][4][6]。周囲の人に視線を遮ってもらう役割を決めておくと動きやすくなります。 |
| 救急車がすぐ来るので、待っていればよいのではないか | 現場到着までの全国平均は約9.8分です[1]。電気ショックが1分遅れるごとに、生存退院の確率は約6%下がると報告されています[4][5]。 |
| AEDを使ったから、もう大丈夫 | 電気ショックは心室細動を止めますが、それだけで心臓が有効な拍動に戻るとは限りません[4]。電気ショックの後も、「ショックは不要です」と言われたときも、ただちに胸骨圧迫を再開し、救急隊に引き継ぐまで続けます[2]。止めるのは、解析中と電気ショックの瞬間だけです。 |
| AEDは設置しておけば足りる | 設置場所の周知、日常点検、消耗品の期限管理が必要です[14]。施錠や利用時間帯の制限で、いざというときに取り出せないこともあります。 |
まとめ/よくある質問
- 救急車の到着まで約9.8分。電気ショックが1分遅れるごとに、生存退院の確率は約6%下がります。
- 市民がAEDで電気ショックを行った場合の社会復帰率は44.4%ですが、実施されているのは目撃された心停止の5%あまりです。
- AEDを使っても、胸骨圧迫は止めません。止めるのは解析中と電気ショックの瞬間だけで、救急隊に引き継ぐまで続けます。
- 善意の救助者が民事上・刑事上の責任を負わされることはないと考えられています。これを社内で伝えておくこと自体に意味があります。
- 迷ったら始める。しゃくりあげるような呼吸は、普段どおりの呼吸ではありません。
- 職場で準備すべきは、全員の手技の習熟よりも、仕切る人と役割の一覧です。名指しで頼まれれば、人は動けます。
- AEDは、置き場所・点検・取り出しやすさ・利用時間帯までが「設置」です。
Q1. 小規模な事業場です。仕切る人を決めても、その人が不在のことが多いのですが。
代わりの人を決めておくことに加えて、役割の一覧をAEDの収納ケースや掲示物に入れておく方法があります。その場で最初に気づいた人が一覧を読み上げて割り振れば、仕切る人の代わりになります。
Q2. 自社でAEDを持っておらず、ビルの共用部のAEDを使う想定です。何を確認すればよいですか。
設置場所、利用できる時間帯(早朝・夜間・休日を含む)、ビル管理会社の連絡先です。自社のフロアから取りに行って戻るまでに何分かかるかを、一度実際に歩いて測っておくことをおすすめします。
Q3. 従業員を救護担当に指名すると、その人の負担や責任が重くなりませんか。
仕切る人の役割は、自分ですべてを行うことではなく、周囲を名指しで動かすことです。負担の面では、救助後に面談の機会を案内する(3-8)など、フォローの仕組みをあわせて用意しておくとよいかと思われます。指名した場合の法的な位置づけについては、第2章の留保のとおり、規程化の際に顧問弁護士等にご確認ください。
Q4. 訓練はどのくらいの頻度で行えばよいですか。
法令で定められた頻度はありません。技能は時間とともに薄れるため、少なくとも年に1回、消防訓練などとあわせて役割を通して確認する機会を設けることをおすすめします。入社や異動の多い時期にあわせると、周知の漏れも防げます。
免責事項
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する医学的判断・法的助言を行うものではありません。心肺蘇生の具体的な手順は、救急蘇生法の指針および消防本部等が実施する講習に従ってください。法令・指針・ガイドラインの内容は改正・改訂されることがあります。社内の救護体制を規程化する際には、貴社の産業医、顧問弁護士、社会保険労務士等にご相談ください。
参考文献
[1] 総務省消防庁. 令和7年版 救急・救助の現況(Ⅰ 救急編). 2025.(第10表、第35図、第46表、第56表、第64図、第71図、第76図)
[2] 日本救急医療財団心肺蘇生法委員会 監修. 改訂7版 救急蘇生法の指針2025 市民用. 2026(訂正版 2026年9月10日).(p.2–3、p.8、p.22–30、p.32–37、p.58–59)
[3] 日本蘇生協議会 監修. JRC蘇生ガイドライン2025. 医学書院; 2026.
[4] American Heart Association. Part 7: Adult Basic Life Support: 2025 American Heart Association Guidelines for Cardiopulmonary Resuscitation and Emergency Cardiovascular Care. Circulation. 2025;152(16_suppl_2):S448–S478. doi:10.1161/CIR.0000000000001369
[5] Stieglis R, Verkaik BJ, Tan HL, et al. Association between delay to first shock and successful first-shock ventricular fibrillation termination in patients with witnessed out-of-hospital cardiac arrest. Circulation. 2025;151:235–244.
[6] Smyth MA, van Goor S, Hansen CM, et al. European Resuscitation Council Guidelines 2025 Adult Basic Life Support. Resuscitation. 2025;215:110771.
[7] Raffay V, Wittig J, Bossaert L, et al. European Resuscitation Council Guidelines 2025 Ethics in Resuscitation. Resuscitation. 2025;215:110734.
[8] Semeraro F, Schnaubelt S, Olasveengen TM, et al. European Resuscitation Council Guidelines 2025 System Saving Lives. Resuscitation. 2025;215:110821.
[9] Zeppenfeld K, Tfelt-Hansen J, de Riva M, et al. 2022 ESC Guidelines for the management of patients with ventricular arrhythmias and the prevention of sudden cardiac death. Eur Heart J. 2022;43(40):3997–4126.
[10] Ishii M, Tsujita K, Seki T, et al. Sex- and age-based disparities in public access defibrillation, bystander cardiopulmonary resuscitation, and neurological outcome in cardiac arrest. JAMA Netw Open. 2023;6:e2321783.
[11] Holmberg M, Holmberg S, Herlitz J. Effect of bystander cardiopulmonary resuscitation in out-of-hospital cardiac arrest patients in Sweden. Resuscitation. 2000;47:59–70.
[12] 田邉晴山, 横田裕行. 全国のAEDの販売台数調査と正確なAED設置台数の把握を可能にする体制と手法の検討. 令和6年度厚生労働科学研究費補助金『AEDの適切な利用環境の構築に向けた研究』(研究代表者 坂本哲也)分担研究報告書. 2025.
[13] 丸川征四郎, 田邉晴山, 石見拓, 横田裕行. 全国AED設置情報データベースの整備に関する研究. 同上.
[14] 厚生労働省医政局長・医薬食品局長. 自動体外式除細動器(AED)の適切な管理等の実施について. 医政発第0416001号・薬食発第0416001号. 平成21年4月16日.
[15] 厚生労働省医政局長. 非医療従事者による自動体外式除細動器(AED)の使用について. 平成16年7月1日.
[16] 日本循環器学会AED検討委員会, 日本心臓財団. AEDの具体的設置・配置基準に関する提言. 心臓. 2012;44(4).
【法令】民法第698条/刑法第37条/医師法第17条/労働安全衛生規則第633条
